窓の外から子どもの声がした。
「このおうち猫がいるんだよー」って。
わたしはパソコンに向かったままで、確認していないから、彼らがわたしの部屋を指しているのかはわからない。
そうです。でもそうじゃないです。
このおうち、猫がいた。
もう3週間たった。
可愛くて臆病で攻撃的で頭が良くて甘えん坊のパセリさんは、星へ行った。
いつもの窓に黒猫が座ることはもうない。
先月、3月28日早朝、パセリさん、息をひきとりました。
わたしはいろんな人の助けを得て、最後の1週間、ほとんどの時間をパセリさんと過ごすことができました。
直接的、間接的に助けてくれた人たちに、本当に、心から、感謝しています。
そのうちひとりは、パセリさんのために涙を流してくれた。わたし以外に泣いてくれる人がいると思わなかったから、本当に、ありがたい。ありがとう。
パセリさん、前に書いたときは比較的元気だったけど、その少し後に倒れた(それで返事が書けなくなった。ごめんなさい)。それから悪くなっていって、足腰が弱って、食べても痩せて、亡くなる1週間前のひどい発作で視力も失った。
消えたように思えた腫瘍は脳に行ってた。ステロイドも抗がん剤もサプリメントも負けてしまった。愛情で免疫が増えるらしいと聞いたけど、わたしのありったっけの愛情も結局は負けた。
目の見えない最後の一週間、パセリは不安からよく鳴いた。物にぶつからないよう、ゆっくりと歩いた。寝るときはわたしの腕や手のひらを枕にした。もう窓の側には寄らなかった。晴れた日にパセリを抱き上げて見えないなりに感じるかなと、窓からふたりで外を眺めた。パセリは抱き上げられた嬉しさに喉をならして、わたしはそのゴロゴロって音をカラダで聞いた。寒かったから長くそうしてはいられなかった。春は全然来てくれなかった。こんなに春が待ち遠しいのは初めてだった。好きだった冬を憎んだ。暖かくなったら、パセリの体調はまた良くなる気がしてた。
最後の日、もう鳴くことができず、ゴロゴロも言わなかった。
見えないまん丸の目を開いて、ほとんど瞬きもせず、呼びかけにもほとんど応えず、じっと何かを待ってた。何度も吐いて、ご飯もお水も受け付けなかった。前日食べたものまで全部吐いた。吐いた後はいつも荒く息をして、苦しそうで見ていられないけど、見ていた。声をかけて励ました。どこかに触れて、すぐ近くにいることを伝えた。撫でて名前を呼んで大好きだって言った。何度も言った。
そうしていたら、最後の発作の前、パセリがわたしのほうに顔を向けて、ゆっくり瞬きをした。見えていないはずだけど、目が合った気がした。
わたしは「がんばれ」と言えなくなった。
もう、がんばりすぎてた。思うように動かないそのカラダから解放してあげたくなった。たくさんお礼と愛を伝えたけど、聞こえていただろうか。
ずっと苦しかっただろうに、死に顔はきれいだった。
パセリさんはきれいな猫だ。きれいで臆病で攻撃的で頭が良くて身勝手で甘えん坊で優しくてまっくろで毛がつやつやしてて柔らかくて、わたしにとっては世界にひとりだけの猫だ。
ペットクリニックの皆さんを怖がって興奮してても、わたしが声をかけると甘え声に変わった。最期までわたしを、わたしとわかってくれた。発作が起こると、まるで違う猫のように性格が変わることがあるって、獣医さんは言ったけど、パセリはそのままでいてくれた。
今、パセリさんがいない事実に慣れることができない。
いつか感情は変わるらしい。
まだ今は、つらかった最期の一日、一週間、一ヶ月だけを繰り返し思い出してしまうけど、楽しかった時期を思い出せるようになるらしい。
パセリはどこかの星で幸せに暮らしているらしい。時間の概念も距離の概念もないその星で、いつか、わたしが来るのを待っているらしい。
本当かな?
12年パセリは生きた。
12年わたしたちは一緒に居た。
家の鍵をあけるとき、無意識に胸が高鳴る。いつもそうなることに、わたしはパセリがいなくなって気付いた。抑えなきゃならない。パセリがお腹をすかせて、ニャアと出迎えてくれる、ことはもうない。