これから出版される本は基本横書きでどうでしょうという提案

最近、書籍について思っていること

電子書籍の規格は今まさにいろいろと決まったり、練られたりしているところだ。過渡期なのでいろいろと情報を追っている。
電子書籍に対するわたしの立ち位置は、「読む人」であり、「書く人」であり、「作るかもしれない人」である。とは言え、がっつり日々の仕事として電子書籍と関わっているわけではないので、少し引いたところにいるとは思う。
だからこそ勝手なことを提案してみる。
「これから出版される本は、ほとんどすべて、横書きベースで良いのではないか?」
紙の書籍も、電子書籍も。
 

書く人として

まず、「書く人」としては、「縦書きで出版される本」と「横書きで出版される本」は書き方が違うのだが、横書きベースのほうが書きやすい。なぜなら、縦書き用に書こうとすると、数字を漢数字にしたり、英語をカタカナに変えたり、全角で書いたりしなくてはならないことがあったりするのだ。店の名前や社名なども英語が多い昨今であるし、外国人の登場人物が出てきたらどうするんだとか、はたまた漢数字の書きにくさ(直感的なわかりにくさ)とか、苦しいことが山とある。
しかも執筆時はほとんどの作者は横書きで書いていると思う。いざ活字になったとき縦に組み直されるとしても、作者は少なくとも初校が出るまでは横書きで自分の書いた物を確認している場合が多いはずだ。つまりその作品の世界は横書きで構築されているのだ。
 

読む人として

「読む人」としては、もちろん縦書きに慣れているので横書きの本には違和感を覚える。特に小説やビジネス書。
しかし横書きでも、本に夢中になって読んでいるうちにいつの間にか慣れたりする。そして、「そういえばパソコンではいつも横書きを読んでいるんだった」とふと気付く。少なくとも電子デバイスでは横書きのほうが読みやすいのかもしれない。紙でも、横書きの技術書などを主に読んでいる人だと「縦」のほうに違和感を覚えるというが、そこは人によるだろう。
また、作者が横書きで書いているのだったら、そのまま横書きのものを読みたいという気がしてくる。それが作者の構築した世界を直に感じる手段ではないのか、と。
そして読書好きとしての大きなメリットは横の視線移動のほうが目が疲れないということだ。速読しやすいし、一行あたりの文字数が少なくなるのも読みやすい。
 

作る人として

「作る(かもしれない)人」としては、まず紙の書籍と電子書籍で縦書き・横書きが変わると面倒だから統一したい。ではどちらを取るかと判断するとき、未来や拡張のことを考慮したい。横書きが主体となっていれば、英語版などを作成しやすいことがメリットだろう。レイアウト的にもそうだし、図版も縦組みか横組みかで違うものになったりするわけなので。他国語版の出版がそうやって容易になれば、日本から世界に出て行ける機会が増える。きっと漫画とか顕著だろう。
そして世界の主流が横書きであるので、世界の電子書籍の規格やアプリケーションは横書きが主体である。少数派の縦書きをいつまでも貫いていたら、世界のスピードについていけないのである。日本はまた何かに乗り遅れてしまうのではないか、不安になることこの上ない。
横書きをベースに作成して、縦書きで読みたい人だけ「縦書きに変換できるアプリケーション」で縦にして読めばいいのではないか。電子書籍のいいところはそうやって読む側がコントロールをできるところにもある。
 

縦書きを貫くことに意味はあるのか

もし、日本と日本語が世界の主流であるのなら、こんなことは考えない。
だって、日本人のほとんどは「縦書きの明朝体」が好きだろうと思う。わかる。慣れ親しんでいる。わたしも好きだ。
それに日本語がもともと縦書きをベースに作られたものだとすると、横書きでは慣れても慣れても読みにくいのかもしれない。これはわたしとしても、もっと横書きで大量の本を読んでみないとわからない。

しかし現状として日本語も縦書きもあまりにマイノリティなのだ。
過渡期だからこそ今変われれば、無駄が少なくて済む。
電子書籍化がどんどん進み、守るものが多くなるほど踏み切るのが難しくなる。「これまでの資産があるからできない」とかよく聞く言葉だろう。
守るべきものは守ると決める。変えられるものや変えた方がいいものは変える。それは本当に守るべき伝統か? なんていつまでたっても誰にもわからない。決断が必要なのである。
決断しないからずるずると消えて行く伝統があったり、日本文化そのものを知らない日本人が大多数になったりするのではないか。

たとえば俳句とか詩歌とか、伝統や文化の色濃いものが縦書きである必要があるのはわかる。それは「守るべきもの」だろう。
さてそれでは文芸書、ビジネス書、技術書、雑誌、漫画、新聞……、はたしてそれらは本当に縦書きである必要があるのだろうか。