原発について思うことと、それを伝えること。

原子力発電について何の見識もない私が、ただの思いを書くのに意味があるだろうか。
こんなの書いたって仕方ないよー、って自分の声を打ち消しつつ。

私は、すべての原発を今すぐ止めるのが最善だと思っている。
それをベースに考えて、「何をどうしたって現状無理だ」ということならば次善の策を取る。すべての原発をできるだけ早く止めるために何ができるのかプランを練るのだ。そのように考えて行かねば、話が前に進まないと思っている。
いわゆる「ゆるやかな脱原発」を前提とすれば、今ある原発は他のシステムによる電力の準備が整うまでは使い続けることになる。あるいは寿命が来るまで。
「電力の準備」っていつ整うのか? いつを目指すのか? 原発推進派の人々はたくさんの理由をもとに長い期限を設定するだろう。そしてその期限が前倒しになることはない(プロジェクトって大抵そんなものだ。期限より前倒しで完成することなんてほとんどない)。
非常にゆっくりとした進捗となるだろう。

最善が何かを決めて、そこに近づけるようにあらゆる方面で努力する、努力をお願いするべきだ。企業や専門家、個人、他国にも。
決意を語ることで、周りを巻き込んでいけるだろう。

この3月、4月、電力不足になると何が起こるのか、その末端を私たちは知った。長期化するとつぶれる会社も増えるだろう。
私もWebの人なので、パソコンやインターネットが無いと仕事にならない。電力の上で仕事をしているとも言える。

それでもなお原発には反対だ。今すぐ止めて(止める意思を固めて)国民を安心させてほしい。
原発は我々がコントロールできるものではないということが証明された。あれが東電による人災だとしても同じことだ。
福島原発による被害の規模はまだ知れないが、少なくとも避難しなければならない地域があり、いつ帰れるかもわからない現実がある。風評被害は既に始まっていて、その被害範囲は福島に留まらない。我々はそれを今まさに体験している最中だ。

原発ではない他の手段を全力で模索しなければ。
(原発に利権のある人も、原発ではない他の利権を全力で模索してください)

では、他の手段とは何なのか?
代替案は何なのか?
私は代替案を持っていない。

反対意見には必ず代替案が必要だという考え方もあるが、私はそう思っていない。
代替案を考えたり調べたりすることは大切だが、提出は必須ではない。
仕事で言えば、クライアントは私のデザイン案に対し反対意見があるならば、反対と言えば良いだけだ。代替案を希望はしない。どうしてそう思うのかを教えてもらえれば満足で、もしそれがなくても、聞き出したり推測して案を練るのは私の仕事である。
特に今回のことで言えば、意見を表明しないということが現状維持を表明しているのと同じになりそうなので、なおさらだ。代替案を示せなくても、原発はもう嫌だと思い、原発のない世界を願うならば、反対だと声に出したほうがいい。

「原発は嫌だけど、原発がなくなると電力困るだろうから、仕方ないよなあ」という考え方は、人の事情を考えてしまうやさしい人の考え方なのだろう。でも推測が入っている。「原発がなくなると困るだろう」と思う、その推測の根拠は何だろう。テレビや新聞が言ったのかもしれない。世間の雰囲気かもしれない。その雰囲気を作り出そうとしている人たちがいるのかもしれない。
原発ナシでも電力供給に問題ないとする見方もあり、もちろん逆もあり、その中間もあり、誰が正しいのか私たちは判断基準を知らないのに。

だから私は人や物事の事情を忖度せず、原発には反対と言う。